2014年5月30日金曜日

「 角と失態 」



近頃「角がたたない」と「失態」という言葉を頭の中で巡らせていた。


どうすれば、角がたたない言い方ができるだろうか。
仕事の場面でそれを考えることは多いと思う。
でも日常の中でもこれは大切なことなんだと思う。

角は自分の中の問題で、言葉自体にあるものではない。
感情のまま言葉に発していたら角も刺も出てきてしまう。
角を立てないために、頭を使って言葉を選び、
腹黒さでコーティングして色も形も整えてあげる必要がある。

でもそれには余裕が必要で、いつも私は後の祭り。
とっさに角は立ち、刺を放つ。


 * * *


「わたし、失態を犯しました」自分でそう言って、
失態という言葉を覚えた高校生の時のことを思い出していた。

人生初めての仕事は高校1年生の時で、私はファミレスでアルバイトをしていた。
私はとにかく要領が悪く、一通りの失敗を経験しないと仕事を覚えられなかった。


一歳年上の男の先輩がいた。
頭のいい私立高校に通っていると聞いた。
そいつはいつもサラサラの前髪をかきあげて話をする。
キザとは違うけど、自信にあふれた格好つけだった。
それでも愛嬌があって、みんなに下の名前で呼ばれ可愛がられているのがわかった。

また私が何か失敗をしてしまった時だった。

「失態しちゃったの?」そいつが言った。
「失態ってなんですか?」私は失態の言葉の意味を知らなかった。
「失敗ってことだよ」とそいつは言う。
「なら、失敗って言えばいいじゃないですか」私は度重なる自分の失敗にヤケクソになっていた。

「失敗って言うとあーってなるけど、失態って言えばそんなにそんなでしょ?」
具体的になんて言っていたか忘れちゃったけど、そんなことを言っていた。
この時の私は「ケッ」っと思っていた。


でも今やっと、自分が「失態」という言葉を使う時に、
失敗を受け入れつつ、オブラートに受け止められることを理解した。




全く別々の場面で考えていた「角」と「失態」だったけど
どちらも「優しさ」つながりで、心のどこかに落っこった。





* * * * *

2014年5月25日日曜日

「 トマト好き 」



最近わたしはトマトが好きになって、分かったことがひとつある。


これまで私は、トマト好きな友達を家にお招きする時
トマトを使った料理を用意するようにしていた。

ある時は、トマトカレーやトマトソースのパスタ
またある時は、鶏肉のトマト煮込み など


でも、トマト好きの人って、
トマト味の食べ物が好きというよりも
トマトをトマトとして食べるのが好きなんじゃないか。
と思った。


それは、近ごろ自分が無性にトマトが食べたくなって
トマトジュースも美味しいんだけど、やっぱり生のトマトが食べたくて
トマトならなんでも良くて、ミニトマトでも大っきいトマトでも生で食べれれば満足で
切ったトマトより、丸ごとかじる方が美味しくて
甘いトマトにあたった時なんかは、トマトってやっぱ美味いなって改めて思う。


去年ミニトマトの苗を買って育てたら、それはそれはたくさん穫れた。
その時、98円の赤いミニトマトの苗と、298円の黄色いミニトマトの苗を買った。
どちらもたっくさん採れたけど、高い苗の方が甘さが格段に違っていた。

だから今年の苗は奮発して、498円の赤と黄色の苗を一本づつ買った。

ミニトマトは植える前に、土にちゃんと肥料をあげていれば
後はマメにお世話をしなくても、勝手にたくさん実ってくれる。
去年の夏は、スーパーでトマトを買うことがなかった程の収穫だった。




今年、美味しいミニトマトが採れたら
トマト好きの友達に食べさせよう。

そして、ミニトマトをほおばりながら
トマト好きの真相を解明しようではないか。


10 0 10




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2014年5月24日土曜日

「 ひとつの過ち 」


たったひとつの過ちで、
取り返しのつかない事態を起こしてしまうことがある。

あの時、どこで判断を間違えたんだろう。

楽しかった時間も、うかれていた自分も
今のわたしから見ればただのバカ野郎。

この時着ていたお気に入りの服は
もう着れないかもしれない。

まったく、何もかもが台無しになった。

そして最後に残ったのは、
思い出すだけで吐き気を催す胸やけだった。



  * * * * *



レシピを見ながらその通りに
“豆腐とシーチキンで出来るチキンナゲット”を作った。

豆腐の水分を抜き、材料と良くまぜ合わせ
油であげれば簡単にたっくさん出来てしまうという内容だった。

はじめて作る料理は、上手くできるか不安もあるけど
どちらかというと楽しさの方が大きい。
豆腐とシーチキンで出来るのであれば、ヘルシーで身体にもいいね!
と思って作っていった。


ところが、
これを油に落とした瞬間に私は何か間違いを犯していることに気がついた。
確かに混ぜている時から、たねがこんなに緩いけどナゲットになるのかしら?と
意識しない範囲で思っていた。それに気づかないくらい気分はノリノリだった。

まとまることを知らない物体は、油の上に果てしなく広がり
かろうじて薄っぺらくつながっていた。
あまりにも薄いナゲットになってしまうと思ったので、
継ぎ足しをしてなんとか厚みを出した。


分厚く大きく広がった物体。
これをひっくり返そうとした時、重くて何度も失敗し
えらい油しぶきを浴びてしまった。
キッチン周りも洋服もギトギトになった。

何とか液体を全て使い切り一段落終えた後、レシピをもう一度読み返してみた。
レシピに書かれた通りに作れてはいた、でも材料に豆腐一丁と書かれており
この出来上がった物体を見つめながら、きっとこれは木綿豆腐一丁だったのだ。

そう思った。


わたしが使ったのは、絹。




冷蔵庫の中で、たくさんのナゲットが
静かに出番を待っている。

この、思い出し胸やけが収まったら、
美味しく生まれ変わらせてあげるから、約束する。

でも、その前に
冷凍庫行きかな。

* * * * *

2014年5月23日金曜日

「 靴下の終わり 」


私にとって靴下は、洋服類の中で一番付き合いの短い存在です。
それは、わたしがぎりぎりの枚数しか持ち合わせておらず
かなりの頻度でローテーションしているからなのかもしれませんが。


それでもわたしは物持ちがいい方だと思うので、
その靴下の終わりがくるまでちゃんと履きます。

最近は、毛玉取り機も持ち備えているので、
冬用の靴下なんかは毛玉を取ってあげると、買った頃のように蘇ります。


親指に穴があいたら何度か縫い合わせます。
かかとが網戸のようになっても捨てません。
お気に入りの靴下だった場合は、
足の先がダメになっても、切って切れ目を縫って
レッグウォーマーにしてズボンの下に履いたりしています。


そして、その靴下の本当の終わりが来た時
わたしは綺麗な状態の靴下に右手を入れ、
ホコリまみれになるまで部屋のお掃除に使います。


こうすると、悔いなく靴下とお別れすることができます。
この靴下の終わり方が、私はわりと気に入っています。




昔、旅先の民宿にお気に入りの靴下を
片っぽ落として帰ってしまったことがありました。


あのこは、あれからどうなったんだろう。
まだ履けた靴下だったけど、片っぽでは捨てられてしまう。

アーメン。




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「 煮魚について 」


食べ物の好き嫌いはない。
けど、好んで食べないのが煮魚だった。
理由は、煮てあるより焼いてある魚の方が好きだから。
煮るなら焼いて食わせろ!と、どんな魚に対しても思っていた。

外食したとき、自分から煮魚を頼むことはなく
食卓に煮魚が出されても、心の底から「ぅわ〜い!」と思うこともなかった。


のだけど突然、煮魚の美味しさが分かる日が来た。
その日食べたのはカレイの煮魚。
煮魚の美味しさは、白いごはんに良く合うところだと知った。
ごはんが、すすむ、すすむ。
焼き魚では味わったことのない、白いごはんとのシャルウィーダンス。

あの魚も煮たい!この魚も煮たい!煮たい煮たい煮たい!


煮魚って、ほんと〜に素晴らしいですね。


* * * * *

2014年5月21日水曜日

「 バ ラ 」


5月はバラの季節だったんだ。

これまでバラの見頃がいつなのか、意識したことがなかった。
バラ園の近くに住んでいたとき、散歩しにいったこともあったのに。


外を歩いていると、畑や玄関や庭でバラが満開に咲いている。
見たことのない色や種類がいっぱいあるんだなーと思う。


畑に咲いているバラも、庭でアーチ状に咲いているバラも
どっちも綺麗だけど印象が変わる。


家主さんに大事に大事にお手入れされているバラは、
見ていて「きれいね〜」と言ってしまう。

畑に咲いているバラは「あ、バラだ」って感じ。


うちの実家にも真っ赤なバラが咲いていた。
そのバラは、昔父が母にプレゼントしたバラを
母が挿し木にして育てたものだと聞いた。


母なりにお手入れはしていたのだと思うけど、
ロマンチックなエピソードとは裏腹に、いつも満開の時期は伸びに伸びまくり
イバラ姫のお話に出てきそうな雰囲気を醸し出していた。


いつも歩いている道の途中に、自分の好きな色のバラが咲いている。
赤でもなく、ピンクでもなく、黄色っぽいオレンジのような薄ピンク色のバラ。

携帯の待ち受けにしたいと思ってこっそり写真を撮ってみた。
綺麗には撮れたのだけど、本物の色と違う。

写真にするといつも思うのが、
見ている物のまんま撮れないなーということ。
今、この見た感じで撮りたいのに撮れない。
トリミングが下手だったり、センスがないってのもあるんだけど。


どんなに綺麗に写るカメラでも、
自然の美しさを写真に撮ることはできないと思っている。
このバラを見た時の感動の大きさは、写真に撮ると少なからず半減してしまう。

だからいつも思う。

今しか見れないものは、今見ておこう。

そう思うと、来年の5月に楽しみが増える。



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2014年5月17日土曜日

「 落花生の皮 」


落花生の薄皮に栄養があるなんて、
知らなくて当たり前のようにむいていた。


相手の心の内を読みとり言葉をかける人がいて、
何も知らないでその言葉を口にしていた自分の空っぽさを感じた。



「あんまり食べると鼻血が出るわよ」
 落花生を食べると母は言った。

「自分の言葉でしゃべりなさい」
 これは昔母に言われた言葉。


そんなことを考えてたら、
お風呂上がりに鼻血がたれた。



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2014年5月15日木曜日

「 難しいことはない 」

どうしても、自分の苦手なことに対して
やる前から出来ないと決めつけてしまう所がある。


苦手な物の一つに、“ネットワーク環境のトラブル”がある。
ネットがつながらなくなった時、必要以上に拒絶反応が出てしまう。


それは、10年くらい前に、初めて自宅でネットをつなげようとした時
ヤフーのことをヤホーと読むくらい無知だった私はえらい四苦八苦をし
サービスセンターに何度もお世話になった体験があるから。


あれから技術も進歩して、現在ではパソコンが勝手に家のネットワークを探して
この中にありますか?と聞いてくれ、パスワードだけ設定すればすぐに使える。
あー、有り難いなぁと心底思っていた。



ところが昨年末、今よりネットと携帯が安くなると言われ
ネット回線を携帯と同じ会社に変えたのがことの発端だった。

これまで、無線の快適ライフを過ごしていたのに
携帯とパソコンが同時に上手くつながらなくなってしまった。

ネットで調べて、色々やってみたけど、結局出来ないままだった。

むかつくけど、自分にはどうしようも出来なくて
昔使っていたLANケーブルをひっぱり出し、
ケーブルをつけたり外したりの生活を半年過ごしていた。


でも実は、薄々原因は分かっていた。
ただ10年前のトラウマが蘇ってしまい、見ないフリをしていた。



これではいけないと、いつも思っているのだけど逃げてしまう。
こんな自分はいやだなと、何度も何度も思っていた。

いやなら直せばいい!そう言う自分と、出来ないままの自分がいた。
でも、ここから抜け出すための“作戦”も同時に考えていた。


どこかに突破口を見つけないと、
小さな悩みでも抜け出せないことがある。
“作戦”という名でずっと出口を探していた。


私の作戦はこうだ、
一気にやろうとすると吐き気がするので、
一日一歩、三日で三歩作戦でいこうと。



二日前、無線LANを買った時についてきた説明書を読んだ。
30分もかからないで、要点をつかめた気がした。

昨日、何もしなかった。

今日、説明書の通りに操作してやってみた。

できた。




苦手なことに対して、
やる前から出来ないと決めつけてしまう自分は
直せないと思う。


それはそれでいい。


でも、今回の作戦を実行し
成功した自分にはこの言葉を送ろう。


グッ ジョブ




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2014年5月14日水曜日

「 小さいティッシュ 」


時々、ちいさいティッシュがあったらなーと思う。

それは、ポケットティッシュとは意味合いが異なり
広げたときの大きさが、通常に対して4分の1くらいがいい。


現在の大きさのティッシュを使っていて、
もったいないと思う時がある。

それは、
ちいさい汚れを取るときや、ちいさい虫をつぶすときや
最後の方の鼻をかむときそう思う。


割り箸のように、本来捨てる部分を利用して出来るのなら
ちいさいティッシュを作って欲しいなと思う。

でも紙などと一緒で、わざわざ規定外のサイズを作るとなると
無駄が出てしまう場合があるのでそれはして欲しくない。




ちいさいティッシュがない現在、
わたしはティッシュを少しだけ使いたいとき、
ケースに入ったままのティッシュの端をちぎって使う。


ecoね。


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2014年5月13日火曜日

「 ところてん 」



うちの父は糖尿病で、
夏、家の冷蔵庫にはいつもところてんがあった。
カロリーの少ないところてんは、父の夕飯のおかずの一品だった。

父がズルズルっと音を立てて食べている。
わたしはテレビを見ながらその音を聞いていた。

大抵ガマンができなくなり、わたしは母に「ところてん食べていい?」と聞く。
こうして子供の頃の私は、食後によくところてんを食べていた。
糖尿の父は「こんな味のないもの美味しくないよ」と言っていたけど、
父のその音を聞いて食べるところてんは美味しくて、
いつの間にかわたしの中で夏の味となっていったのだと思う。


父は何を食べても美味しそうに、そして大事そうに食べる。
それは、糖尿で食事が限られているからなのか、
昔貧乏で食べれないことを経験したためなのか分からないけど。
そして食後に必ず父は「 ん〜〜〜 おいしかったっ 」と言った。




今日も昼間は気温が上がった。

そんな中スーパーでところてんを見かけ、
父のことを思い出し無性に食べたくなってしまった。
明日買いに行って、冷蔵庫で冷やしておこう。
そして夕飯の食後に食べよう、カラシをうんときかせてね。



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2014年5月8日木曜日

「 UNKO 」


わたしのお腹はすぐにゆるくなる方で
食べ過ぎたりいつもと違う時間にご飯を食べるとお腹が痛くなる
寝不足だとお腹にガスが溜まりこれも辛い
こういう痛みは日常茶飯事で起こっているけど
出ない辛さはあまり経験したことがない



先日、人生で初めてハンバーグヘルパーを使ってハンバーグを作った
ひき肉と水(または牛乳)があればハンバーグが出来てしまう
これまでハンバーグは手間ひまかける割にはあまり上手に出来たことがなかった
こねれば出来てしまうハンバーグヘルパーに少し抵抗を感じながらも
ハンバーグヘルパーワールドに足を踏み入れた

焼き上がったハンバーグには、市販のデミグラスソースをかけて食べた
ハンバーグ屋さんのハンバーグとは違う旨さがある
肉肉しすぎていないところが逆に旨い
はっきりいって、美味しい


ハンバーグヘルパーワールドは、
大人になってから行くデパートの屋上の遊園地のようだった
私は子供の頃、そういうところへ連れて行ってもらった記憶はない
そして、このハンバーグも子供の頃に食べたことのない味だった


美味しいものには余韻が残る
わたしは何度も何度も“美味しかったなぁ”と心の中でつぶやいた




しばらくしてトイレに行きたくなった
そして、つるんと素晴らしいうんこをした



美味しいものを食べて余韻に浸り
いいうんこをしてすっきりする
何も形に残らないこれを わたしは幸せだと思った



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2014年5月2日金曜日

「 やさしい犬 」


いつも家の近くで、犬を連れたおじいさんを見かける

おじいさんはいつも、おちおちゆっくり散歩している

おじいさんが連れている犬も同じようにおちおち歩く

あの犬も、おじいさんなんだなと思って見ていた



ある日、おじいさんがいつも連れている犬にそっくりな犬を見た

その犬は、飼い主さんと同じように軽快に歩いている



それにしても、あの犬にそっくりだなと思いしばらく観察していると

その飼い主さんと犬は、おじいさんが住んでいる家に入っていった

その犬はおじいさんの犬だった、いつも見かけていたおちおち歩く犬だった



あんなに軽快に歩けるなんて…いやそうではない

おちおち歩くことが出来る賢い犬だなと思った




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