2013年11月25日月曜日

「 日 記 」


小学生の時に「見つけたよ」という日記の宿題があった。
今日一日の中で何か発見したことがあったら
それを日記として書く、というような内容だった。

大人になってからそれを読み返したことがあった。




そこには、

 家の中でボタンを見つけたよ
 そのボタンには、まだ紐がついていて
 取れたてだったよ





みたいな内容が書かれていた。
本来なら絵を描くスペースに、
そのボタンは貼られていた。


この文章から、自分の適当で不真面目な人間性が伝わってくる。
先生の意図に全く興味を示していない自分を残念に思った。




そんな幼少期を経て、ある時期から
自分にとっての日記の存在は変わった。


二十歳の頃のとっても悩み、病んでいた時代に
私は手帳に自分に対するグチのようなものを書いていた。

自分に対するグチとは、自分のここが嫌だ、とか
なんであんなことを言っちゃったんだ、という感じの内容だった。

それを書き留めることには理由があった。


はじめは自分のことを嫌だ嫌いだと言っていたけど、
だんだん、嫌だと言いながら生きて行くのがいやになった。
嫌なら直そう。どんだけ時間がかかってもいい、
嫌嫌言いながら生きる方がよっぽど嫌だ。

そう思い、自分の嫌いなところ、直したいところを
それらが浮上したときに片っ端から書き留めていった。



決して、気持ちは前向きではなかった。

あの頃は、書き留めることがいっぱいあって大変だった。



それら嫌の全部を克服したかどうかは分からない、
今はもうほとんど忘れてしまった。
書き留めたものも、どこかのタイミングで破って捨てた。
読み返して楽しむものでもないので。



そんな暗黒日記時代を乗り越え、
書くということがわりと習慣になっていた。
毎日今日の出来事を書く、という日記とは違うけど、
何か心に残ったことひっかかったことは書き留めるようになっていた。




現在、このブログは将来のために書いているのだけど、
日記だとは思っておらず、自分で読み返すことも滅多にない。

でも、漫画を描くようになってから、何でもメモする習慣がついた。
思いついたこと、心にひっかかった言葉、歩いていて目についたワンシーン。
それらをノートやスケッチブックや紙切れに言葉や絵で描いている。

これが読み返すと とても面白い。

漫画を描き始めてから、身の周りの何でもないことを
とても豊かに受け止められるようになったのが分かる。





小学生の時の宿題だった「見つけたよ」だけど、
あれから20年以上経ってやっとわたしは「見つけた」よ。

せんせー!

わたし、
わたしが見つけたかったもの

見ーつーけーたーよーーーん!!



* * * * *

2013年11月19日火曜日

「 ホームページのブログのアイコンについて 」













私のホームページはとっても分かりづらくて見づらいと評判です。
何となく、ブログのアイコンを変えることにしました。
小さくて、真ん中のへびの目が見えなかったのでこちらにのせました。

このブログ、あまり人気がないので
今年いっぱいで閉店しようと思ってます。

でも、アイコン変えたら人気出たりして!


 そしたらうれピーマン!
   〜淡い期待を抱いて〜



* * * * *

「 頭の中の自分と会話した 」


先日生まれて初めて、コーチングをしてもらいました。

自分が知っているコーチングについての知識は、
昔コーチングって一体何だろうと思い、少しだけ調べたという程度でした。



それはある日突然のことでした。

「わたし、コーチングを勉強しているの、実験台になっていただけない?」
という感じで声をかけられました。
その人のことは、以前から知っていて、少しだけ一緒に仕事をしたことがあり、
バランスのいい人だなーと思っていた方でした。


「何を話したいか考えといてねっ」と言われ、
少し時間を頂いていたのですが、突然だったこともあり
心の準備はできていなかったと思います。


コーチングの時間は45分くらいだったのですが、
振り返ってみると、ずっと自分と会話をしていました。


まるで自分の頭の中に入って、
自分と自分と自分と会話をしているみたいでした。


これは、いつも自分の頭の中でやっていること。
でもそれとは大きく違う点があり、コーチ(と呼ぶのか分からないけど)
がいることで考えが堂々巡りで終わりません。

これから自分が行動に移さなければ、
このコーチングの意味は存在しないと私は考えます。
だからまだ何とも言えないけど、勇気が沸きました。





コーチへ
コーチングを受け、自分のしらない引き出しをノックされた気がしました。
一人では出来ないけど、一人でなければ出来る気がします。


一人じゃ出来ないけど、一人じゃなければ
夢が莫大に広がる予感がしました。


* * * * *

2013年11月13日水曜日

「 有吉 」



むかし知人にいただいた、手のひらサイズのノートに
毎日の中で感じた大事なことをメモしている。


それを読み返していたら、紙が一枚挟まっていて、


 有吉が人気があるのは、
 ヒッチハイクをしたからではなく

 今もヒッチハイクのような
 人生を送っているからだ!!!


と書いてあった。


私が書いたのだけど、
今も彼の事をそう思っている。


* * * * *

「 もんもんとした日のあそび方 」


新聞や雑誌、自分がメモした
スケッチブックに書かれている言葉の中で、

テンションが上がるものに○をつける。

お気に入りの蛍光ペンで。



* * * * *

2013年11月11日月曜日

「 パンツ 」


新年は新しいパンツで迎えたい、
そう思って生きてきました。

しかし、ここ何年、
貧乏過ぎて新しいパンツが買えませんでした。
パンツを買うよりも、家賃や光熱費、年金、保健、ケータイ、ネット代など
優先的に払わなければはならないものがあったので。


でも、汚いパンツを履いて生きることは、
気分が上がらないので、運気や金運を逃しているのではないか…
と思えてきたのでした。



だもんで、新年に向け、新しいパンツを買いました。


来年からどんどん運気をあげて行きたいと思います。


汚いパンツは捨てよう
と思ったら、
全部汚いパンツでした。




年末の忘年会や大掃除に、新しいパンツはいかがですか?


キラ キラ キラ



* * * * *

「 毛玉 」

ついに、毛玉取り機を買った。

安いのだったら、300円位で買えるけど
2,000円の一番いいやつを買った。


「毛玉すごいね」って言われたあの日、初めて毛玉を意識した。
うちには毛玉取り機がなかった。その存在を知り、
幼いながらも感動したことを鮮明に覚えている。
私の着ていた服一面に広がる毛玉は、
ひげ剃りのような機械に吸い取られていった。



なぜ、これまで、そんなに高くない毛玉取り器を買わなかったのか。
ふと考えてみると、むかし一度電気屋さんに買いに行ったことがあった。

その日、ぐるぐると店内を回り、
ドライヤー、美容関係の売り場、電池が置いてある付近など、
置いてありそうな場所を一通り探したけど見つからなかった。

店員さんに聞こうかと思ったけど、
恥ずかしかったのか、聞くほどのものでもないと思ったのか聞かずに帰った。


あれからだいぶい時も経ち、毛玉取り器のことをすっかり忘れていた。
毛玉が出来た服は室内用で着ることにしていた。


しかし先日、去年買ったお気に入りのセーターを着ようと思ったら
全体が毛玉に覆われていた。

でも、他に着たい服がなかったので、とりあえずコロコロをして出かけた。
室内では気がつかなかったけど、外の光に当たると
毛玉のハンパない量を目の当たりにした。特に袖と腕と裾あたり。

その日、明るい場所では、上半身をショールで隠すようにして歩いた。
暑いデパートの中も汗をかきながら、そうした。




その夜、心の中で強く思った。

“毛玉取り機が欲しい” “毛玉取り機が欲しい”

毛玉が吸い取られていくのを初めてみたあの日を再び思い出した。

“毛玉取り機が欲しい”



そして遂に私は、念願の毛玉取り機を手に入れた。
店員さんに、「毛玉取り機」はどこですか?と聞いて。

それは、掃除機売り場にあった。

「ここにいたのね」

感動して涙がでた。


そして、家に帰りお気に入りのセーターの毛玉を吸い取ったとさ。



でめたし めでたし




* * * * *

2013年11月4日月曜日

「 さようなら2013年 」


11月になったので、
少しづつ今年とお別れをしていく。

やり残した事はないかな。
今年の自分はどうだったかな。
来年の目標はどうしようかな。

じっと耳を澄ませて来年の方角を定める。
だんだんと見えてくるものがあるので
それに備えて、あと二ヶ月を過ごす。



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2013年11月2日土曜日

「 傘 」


幼稚園の頃、雨の日にカッパを着るのが嫌だった。
夏は蒸れて身体に貼り付き気持ち悪いし、
濡れたカッパを干すのもとにかく面倒くさかった。

小学校に上がりカッパを着なくても良くなった。
傘はうれしかったけど、折りたたみ傘はなるべく使いたくなかった。
遠足の時などは、折りたたみ傘になってしまう。
折りたたみ傘を、なぜかダサいと思っていた。
おじさんが使うものだと思っていた。

中学校に上がり、ビニール傘に憧れた。
ビニール傘を持っている子がかっこ良く見えた。

高校生からバイトをするようになり、
自分でビニール傘を買えるようになった。
ビニール傘は良くなくす。
そして良く盗まれ、すぐ壊れる。


専門学生になり、雨が降ればビニール傘を買えばいい
という考え方が変わってきた。
使い捨ての考え方に疑問を抱いた。
勿体ないと思った。

お気に入りの傘を1本買って大事に使おうと思った。
お気に入りの傘を探すのは楽しかった。
お気に入りの傘にはなかなか出会えなかった。


ある日、お気に入りの傘に出会えた。
お気に入りの傘はオレンジ色で、持つ手が竹みたいなので出来ていた。
折りたたみ傘じゃないのに、袋がついていて、そこも気に入った。
お気に入りの傘一代目は、大事に使っていたけど、
最終的に竹の部分が抜けてしまってお別れした。
お気に入りだったので、ショックも大きかった。
今でも時々その姿を思い出し、またそんな傘を使いたいなと思う。


二代目の傘は買ってすぐに電車に忘れてしまいお別れした。
三代目の傘はついさっきまでそこにあったのに神隠しにあったみたく消えた。



お気に入りの傘を失うのが辛くなった。





そして、どうでもいい傘を買うことにした。
どうでもいい傘を買って4年経つ。
どうでもいい傘は、なくならないし、壊れないし、盗まれない。




どうでもいい傘を使っていて感じたことは、
お気に入りの傘を持ち歩いていた時の喜びが今は全くないなということ。


このどうでもいい傘が壊れない限り、
私は次の傘が買えない。

それまでに決めておこう、
持ち歩く喜びはあるけど失う辛さもある傘を取るか、
失う辛さはないけど、持ち歩く喜びもない傘かを。



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