2014年10月31日金曜日

「 柿 」



私は幼稚園児のころ
仲の良い友達と人んちの柿をとって食べていた


 「あそこの柿は美味しいよ」


 あちこちの柿をとって食べ比べていた

 柿は洋服で磨いて皮ごと食べた
 渋い部分はかじってペッと吐いた
 柿を食べながら何を話していたか覚えている

 「ずっと友達でいようね、おばあちゃんになっても、天国にいっても」



 ある朝母がこう言った

 「あんた、○○さんちの柿食べてんの?」


 私はマズいと思った
 そういえば○○さんちは姉の同級生の家だった
 怒られると思った




 母は続けてこう言った

 「○○のおばちゃんがね、
  今度はピンポンおしてからとってねって言ってたわよ」


 怒られなかった

 むしろ母は「今どき柿泥棒なんてめずらしいわね」と笑っていた



 それから柿泥棒はやめた
 友達も小学校に上がると同時に引っ越してしまった



大人になってわかったことは、
「ピンポン押してね」と言ってくれたおばちゃんの優しさと
子供の頃の友達と過ごす時間はとても短く儚いということ






渋柿は干し柿にするとどうして甘くなるのだろう

思い出も年と共に渋い記憶が甘くなった





* * * * *

2014年10月17日金曜日

「 サザエさん 」


家にはサザエさん全巻があって
中学生くらいの頃はいつも
寝る前に二冊か三冊を本棚から取り出して
読みながら寝るのが日課だった


母は昔よく言っていた

「サザエさんと10万円だけもってお嫁にいったのよ」と





そのサザエさんを、母が私にくれた
母は数年前から、「死に支度」と言って
家の物を片付けている




「サザエさんもらってくれない?」


そう言われた時は
軽くもらうよと返事をしたけど
手元に届いたサザエさんが
丁寧に丁寧に段ボールに入っていて
本当に「死に支度」をしているんだと
初めて感じた瞬間だった






「サザエさんと10万円だけもってお嫁にいったのよ」

もう、その時代は終わったようだ




「冥土の土産があるから何にもいらないのよ」

きっとそんな風に言うに違いない





ちなみに母はとても元気に生きている


* * * * *

2014年10月14日火曜日

「 不謹慎な過ち 」


私には、病気なんじゃないか
というくらい不謹慎な部分がある

それは、笑ってはいけない状況になると
些細なことでも笑いがこみ上げてきてしまうことだ



これが発症したのは中学生の時
笑ってはいけない状況の中
わたしはあることをきっかけに
笑いをこらえきれなくなり吹き出してしまった

案の定、その場を仕切る人に
なぜこんな状況で笑うのか?と怒られた
すみませんと口には出していても
もう、こうして怒られていることすら
おかしくなってしまう





中学生から今に至るまでの
不謹慎な過ちを数えてみた


 不謹慎(大) 4回

 不謹慎(中) 3回



この数字が多いのか少ないのか分からないけど
現在でも更新されているところが危険だ

若いときはまだ許される
しかしわたしはもう許される年齢ではなくなった


静けさと周りが真剣であれば真剣なだけ
些細なことがきっかけで笑いがこみ上げてしまう
笑ってはいけない状況であればあるだけ
笑いがこみ上げてきてしまう

下唇をかみ、太ももをつねり
頭の中を別の何かで埋め尽くし
吹き出しそうな笑いの波を必死で紛らわす
これでも真剣に笑いをこらえている




松本人志の笑ってはいけない○○という番組があるけど
私から言わせてもらえばあんなのは笑ってはいけない状況ではない

本当に笑ってはいけない状況で笑ってしまうと
周りはどん引きし笑えない空気がじわじわと広がる








今朝起きるとわたしの下唇は腫れていた

鏡の前に立ち、
これは先日の不謹慎な行為のバチではないかと思った
今回ばかりは神様のバチがあたるかもしれない



どうか、お尻たたきで許して下さい。






 * * * * *

2014年10月12日日曜日

「 気持ち悪い笑顔 」



先日、気持ちの悪い接客に出くわした

とても親切丁寧な対応をしてくれていても
その顔があからさまに作り笑顔だった

目を細め、頬をあげれば
笑顔が作れると思っているような顔だった
見ていてとても気持ちが悪く
こちらの顔が真顔になってしまう

そんなに常に笑顔でいる必要はあるのだろうか
会社から笑顔で対応しなさいと言われているのだろうか

不満やストレスがたくさん溜まっている顔をしている
それが作り笑顔の裏側からひしひしと伝わってくる

気分も悪いし気の毒だとも思う



昔出会った、心に残る接客を思い出した

たしか場所は浅草橋だったと思う
私は買い出しの合間にお腹がすいてご飯やさんに入った
そこはとてもとても混んでいてわたしは少し待たされた
しばらくしてせまいカウンター席に案内された
メニューを選んでいると定員さんが近づいてきた


「広い席が空いたけど移動しますか?」と定員さん
わたしは「ここでいいです」と言った
そしたらその人は「それならいいです」と言った


そのときのその人が全く何も演じてない素の状態だった
普段のその人となんら変わらなさそうに見えた
丁寧さはなかったけど妙に心に残る接客だった




私は間違った捉え方をしている日本の丁寧なおもてなしが苦手だ
なんとかならないもんかと思う

気持ちのいい接客がもっと浸透したらいいと思う
その為には、働く側もお客側も人と対話するときの
本当の気持ち良さが何なのかを知る必要がある




こんなことを言っている普段の私は大抵作り笑顔
笑顔でいれば何とかなると思って生きている

でもできれば、気持ちの悪い印象は与えたくないので
作り笑顔だとバレないよう
日々笑顔のクオリティをあげていきたいと思う

そして本当に気持ちのよい接客とは何かを
追求してもいきたいと思う

* * * * *

2014年10月9日木曜日

「 LOVE LOVE LOVE 」


昔テレビで、
THE夜もヒッパレを毎週見ていた

一週間の歌のランキングを若手からベテランの歌手や
若手のグラビアアイドルや昔売れた歌手などが
次々に出てきて歌う番組だった


歌手じゃない人も歌うので
ヘタクソだなーと思うことはよくあった
でもそれよりも、わたしには気に入らないことがあった


それは、ベテラン歌手が流行の歌のサビを
自己流にアレンジして歌うことだった
のばさないところをのばして歌ったり
音低を勝手に変えたり

毎回のように出ていたある歌手は
必ずアレンジして歌うので
私はその歌手が出る度に文句を言っていた


ある日、私はいつものように
鼻歌を歌っていた
昔大好きで何度も何度も聞いていた
ドリカムの LOVE LOVE LOVE


♫ 二人 出会った日が

   少しずつ思い出に なっても ♪



ここを歌っているとき私は気付いた

吉田美和ちゃんと違う歌い方をしている
自己流にアレンジしてしまっているではないか


  ねぇ どうして…


でも私の場合それには原因があった
腹筋が衰えており呼吸が続かず
本物のように歌えないのだった


  ねぇ せめて…



あのとき、文句を言っていた自分は
自然の摂理というものを知らなかった


  ねぇ どうして
  涙が 出ちゃうんだろう …





  涙が 出ちゃうんだろう …


* * * * *

2014年10月3日金曜日

「 心臓がとびでそうなくらい感動したい 」


夏を境に生活が一変した
一番変わったところは、自分の思うように
時間が使えなくなったこと


生活が変わり、何週間か経った頃
自分の中に何か不安なものがころころしているように思えた
これは何だろう、わたしは何が不安なんだろう
何日かその不安をころがしながら過ごしていた
そしてふと、そのころころの原因がわかってきた


今日はこれをやろう、後でこれをやろう
そう思っていることがことごとく出来ないでいた
いつもあたり前にできていたことが出来ない
でもそれらはたいしたことではなかったので問題ではなかった



ただ、わたしの不安はそれにつながっていた


出来ていたことが出来なくなって
出来ないことがあたり前になって
それらを忘れてしまうことが不安だった


目の前の生活にただ流されてしまうことに不安を感じていた







自分のやりたいことが分かるようになってから
日常生活と自分の人生の時間が重なって進むようになった
何でもないことが絵になり、ささいなことが言葉に残った

この生き方をわたしは気に入っていた
そしてこれからもそうしていきたいと思っていた

これは生活だけに流されてはできないことであって
自分の人生だけを追ってもできないことだった


目の前の生活だけになりそうで私は不安を感じていた



今やりたいことが出来なくても
そのことを忘れなければ、きっとわたしの人生は
今までのように生活に重なり進んでいくのだと思う
この生活も、わたしの人生の一部で
私は今もあの山を目指して旅している



あぁ、不安を言葉に噛み砕く事ができた








昔、ブログか手帳かどこかに書いたことがあった

「 心臓がとびでそうなくらい感動したい 」と






今、目の前の人生が

心臓が飛び出そうなくらい

楽しいものに思えてきた




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2014年10月2日木曜日

「 牛乳パック 」


小学生のころ、給食に出る牛乳は
飲み終わると折り畳んで捨てなければならなかった

6年間もそれを続けていたので
わたしは今でも無意識のうちにそれをやってしまう


パックの飲み物をたたまないで捨てる人を見ると
心の中で一瞬「あっ」っと思っている
それはとても一瞬の出来事なので
自分でも気がつかないくらいの「あっ」なんだけど
「あっ」の後には「いけないんだ」と思っているんだと思う
でも実際はそこまで気にとめていない



パックをたたむとき、一つ嫌な点がある
それは中身が少し飛ぶことだ

昔、わたしと同じようにパック飲料をたたむ人がいた
その人はパックが平になった状態で
しばらくちゅーちゅーとストローを口にくわえていた
もう中身はないはずなのに、ストローとつぶれたパックをくわえたまま
ちゅーちゅーしながら会話をする

それだけ吸えば中身は飛ばないんだろうけど
その姿はあまり人に見せるものではないように思えた
一瞬ならいいんだと思う、わたしもよくやっている
でも長時間になると、人に気付かれる、そしてお下品にみえる




それはおいといて、パックをたたまないで捨てると私はどう思うのか
これだけ習慣付いているのできっと罪悪感が残るにきまっている

そう思った



今日、突然たたむのがめんどうになった

なので試しにたたまないで捨ててみた






すると

割りとどぉも思わなかった


いや割りとではない


全然どうも思わなかった


という
どーでもいい話


ちゃんちゃん




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