2014年2月22日土曜日

「 夏服 」


aikoの夏服というアルバムを聞くと
19才の夏のことを思い出す

その年の私はフリーターだった
夏の間だけ、熱川のホテルで
住み込みのアルバイトをした

二ヶ月もない短い時間だったけど
体験するもの全てが新鮮で
今でも思い出すと心がどきっとする


あの時食べたもの、見たもの、聞いた歌
全部その時感じた気持ちと一緒に思い出になっている

夏服のアルバムにはボーナストラックがついていて
アルバムには歌詞もタイトルも書かれていないのだけど
調べてみたら、夏服というタイトルらしい



あの夏を境に、私は夏が好きになったのだと思う

夏になると、何かを仕出かしたくなる感情が今も沸き上がる




 思った以上に 静かに
 こんなに早く 夏が来る ( aiko 夏服より )





今は毎朝寒いけど、きっとあっという間に夏が来る

今年も夏に何かを仕出かしたいと今から思っている



* * * * *

2014年2月19日水曜日

「 オレンジの靴下 」


今日はとても寒い。

昨日干した洗濯物が、
朝まだ乾いていなかった。

洗濯物は今日も干し、
夕方に取り込んだ。

そろそろ畳もうかとした時のことだった。

左の端から、パンツやシャツやタオルを取り外していくと
一番右の端っこに、オレンジ色の靴下がぶら下がっていた。

その靴下を見て私は、はっとした。


靴下の片方が内側に丸まったまま干されていたのだ。

この洗濯物達を洗ったのも干したのも、私。
なぜ、干すタイミングで気づかなかったのだろう。

これまで、シャツの袖を同じ状態で干してしまったことは
何度もあったけど、その時はどうとも感じなかった。


なぜかこのオレンジの靴下には、自分のずぼらな性格を恥り、
申し訳ないという気持ちが湧いてきた。

一振りすればいいだけの簡単なことなのに。
どうして私はそれを怠ったのか。
よそ見でもしながら洗濯物を干したのか。


オレンジの靴下の模様は、お家とチューリップだ。
お店で見つけて可愛いなぁと思って買った、お気に入りの靴下。


あぁ。これかもしれない。


自分が大事にしているものに対して、
人は素直になれるのかもしれない。


オレンジの靴下には心から謝れる。

「ごめん、もうしない。」




靴下の丸まった部分は乾いていた。
それが余計に自分のずぼらな精神を突ついた。


* * * * *

2014年2月11日火曜日

「 こんな夢を見た 〜 茄 子 〜 」


昨日こんな夢を見た


私は友だちと三人でバスケットボールをしていた

でも、ボールがなかなか弾まなくて



「なんかこのボール弾まなくない?」

「そうだね」

「たしかに」

「だって、これ茄子だもん」

 ハハハハハー

ボールのように突いていたのは、
バスケットボールサイズの茄子で
皮は模様のように交互に剥かれていた



私は自分の笑い声で目が覚めた




いや 茄子にしちゃ、弾んでんだろ


* * * * *

2014年2月10日月曜日

「 忘れないようにしよう 」



麦茶がなくなったので、
夜、やかんで麦茶を沸かした。

前に、そのやかんの麦茶を
昨日の残り湯だと思って捨ててしまったことがあった。

それを思い出したので、
「忘れないようにしないと」と一瞬思った。

でも私は「○○しないと」と思うと大抵出来ない。
「気をつけよう」もだめ。「直そう」とかもだめ。


なぜ、そう思うと出来ないのか、自分でも理解できないけど、
これまで生きてきた中で、とにかく「○○しないと」
と思うことは自分に通用しないと分かった。

仕事とか、本当に二度とやったら危ないことは、
物理的に覚えておくよう努力するけど。


でも今回は麦茶だったので、
「捨ててもまた作ればいっか」と思って寝た。



今朝お湯を沸かすとき、
やかんに麦茶が入っているのを思い出した。




なぜ、覚えていられたのだろう。。。




わたしは「気をつけよう」とすると、
気持ちが強ばって思い通りに行かないのかも知れない。

そして「忘れてもいっか」と思うと、
気持ちに余裕が出来てその分覚えていられるのかも知れない。



記憶でなく、気持ちをコントロールすれば
人生ももっと上手く行くような気がしてきた。

まだ研究途中なので、
今後そういう場面に出会ったら試して行こう。




Come on! Must not forget!

* * * * *

2014年2月7日金曜日

「 時々、この諺を思い出す 」




ふと、自分の昨日を振り返ると、
食べ物のことばかり考えている。

ブログに書く為のネタを考えているのだと思うけど、
過去の思い出も、少し先の未来も食べ物ばかりでつながっている。


初めて一人暮らしした時に思った。

自分の食事は自分で用意しない限り、誰も用意してくれない。
実家暮らしの時は、当たり前のように食べ物がいつもあった。

朝は何を食べよう、昼は何食べよう、夜は何食べよう、明日は何食べよう
「私は食う為に働き、食う為に生きている」そう思った。


私は、「働かざるもの食うべからず」という諺を、
普段から忘れないように生きようと思っている。


その諺を思い出しては、昔々の人を想像する。

それは、原始時代くらいにさかのぼる。


狩りをして、木の実を取って、食べられる食物を探して
水を汲んで、木の枝を集めて、火をおこす


これはお給料が出る事ではない。
でも生きる為の仕事。
食う為の仕事。

これが生きる事の基本だと思う。



私は根が怠け者なので、
時々こうして昔の人にお尻をたたいてもらう。


「働かざるもの食うべからず」

 原始人はこう言うでしょ、「当たり前だ」って。




 * * * * *

「 何食べたい? 」「 美味しいもの 」


「何食べたい?」と聞いて、
「美味しいもの」と答える人がいますが、

美味しいものは世の中にたくさんあります。

でも、コレ食べたーい!!! って時に食べる
コレに勝る美味しいものはないと私は思います。

先日、突然トマトソースのスパゲティに
とろけたモッツァレラチーズを入れて食べたくなりました。
その後すぐ作って食べたスパゲティは、普段の「今夜はスパゲティにしよう」
というスパゲティには比にならないくらい美味しかったです。




しかしこの、コレ食べたーい!!!って気持ちには
賞味期限のようなものがあって、
それを過ぎるとベストな状態で美味しく頂くことができません。



ちなみに今私の中で賞味期限が切れている食べ物はミョウガです。

昨年の夏は、食べたくて食べたくて仕方なくて、
自分で育てるようになったくらいでした。
でも今は、スーパーで見かけてもピクリとも心が動きません。




また、
現在ひそかにコレ食べたい!!! と
足音を立てている食べ物があります。

それは、ラッキョです。

軽く塩漬けにされたラッキョです。
母が漬けたものが理想的です。

これを刻んでお醤油と味の素をパラッとかけて白いご飯で食べる。

あまり、リアルに想像しすぎると、
食べたい気持ちが押さえきれなくなるので控えめに想像しています。

旬で食べるのが一番美味しいのでそれまで我慢です。


でも時々発作のように、食べたくなってしまいます。
そんな時は、ラッキョに思いを寄せて、心の中でこう言います。



 「 待ってるからね 」

 「 早く、食べたいよ 」



という訳で、

「何食べたい?」って聞いた時に、
「美味しいもの」という漠然とした返事をしている人は
ある程度の美味しいものしかその時は味わえないということです。

そして、「美味しいもの」は人それぞれ違います。

「美味しいもの」=「特定の食べたいものがありません」ということだと思って、
自分の食べたいものを美味しさをそそるように提案することが、
その人を「美味しいもの」へ誘導できる良い方法なのではないかと思うのです。


へー


* * * * *

2014年2月5日水曜日

「 夏 」

今日のようにとても寒い日は、
すこぶる夏が恋しくなる。

夏になったらしたい事は、
自家製のごまダレにシソをたっくさん入れて
氷入りのそうめんで食べたい。

ザザザ ザザザ っと音を立てて


う〜〜ん、待ち遠しっい〜


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